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別館 第五幕 映画 『ディア・ドクター』 は微妙...

ディア・ドクター _ポスター


 これって、金鉱(真理の深遠な実体)を掘り当てたというより、金鉱から出た砂金を見つけたってとこじゃないかすら。


 お話は、僻地の無医村の村に村長に乞われ、やってきた医師・鶴瓶が、実は、ニセ医者だったというもの。

 なんで、鶴瓶が医師のまねごとをするのかの警察の問いに、薬販売業者の香山は、人は誰しも、具合の悪い人をみたらなんとかしてやろうとするものだと説明する。

 すかす、答えにはなっていない。


 本物の(というかインターだからまだ本物じゃないのか)研修に来た医師瑛太は、僻地で、村人のために孤軍奮闘する鶴瓶の姿に心打たれ鶴瓶に心酔する。

 師匠 鶴瓶と研修医 瑛太との関係は、補助線として、黒澤『赤ひげ』 を持ってくれば、この映画とぴったり重ね合わさる。


 『赤ひげ』 での見習い医師・加山が心酔した赤ひげ・三船は本物の医者だった。

 すかす、監督は、鶴瓶をニセ医者とした。

 
 『赤ひげ』 が脱構築化され、本物の医師とはなにか、が映画で問われていることではない。


 街の大病院の医師が正直に村人達に教えるように、医師(本物の)でも、実務では、肺が止まったら慌てふためき、判断を誤り、処置は正しく行えず、患者は死んでしまう。

 しかし、鶴瓶が正しく処置したおかげで患者は無事だったと(実は、鶴瓶ではなく、看護士・余がすべて判断したことではあるのだが)。

 ニセ医者は本物の医師以上の仕事をこなし、患者は救われていた。

 
 その村の平和を破ったのは、鶴瓶が患者・八千草の持つ家庭の事情に深く立ち入ってしまったからなのだが、人を救う人類愛とか、ニューマニズムはいきおい、人のすべてを救わねばならないとする使命を負う。

 が、家庭の事情を深く知れば知るほど、他人がどうにも立ち入り出来ない、親子でも利害(?)が対立する解決不可能の領域の板挟みにあう。


 鶴瓶の遁走は、ニセ医師さ故に患者・八千草を救えない無能さからではなく、善意が立ち入ることの出来ない領域の前に立たされた、板挟みにあったヒューマニズムの苦悶・苦闘だったろう。

 
 娘を気遣う母、母を按じる娘。

 両者の狭間に立たされた善意は脆くも崩れ去った。

 母の気持ちも、娘の気持ち双方十分理解できるからこそにっちもさっちも立ちゆきいかなくなった人間の善意性。



 軽く 『赤ひげ』 を凌駕する、善意(ヒューマニズム)の前に立ちはだかり、横たわる板挟みの無間地獄の実体。


 西川 美和 監督は、せっかくの本物の金鉱を発掘し損ねたかもかもねん。




投稿者: 今井 政幸 


『ディア・ドクター』 公式サイト



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西川さんの原作「きのうの神さま」を読んでいると、細やかな状況説明とちょっと人物の心理描写が巧みと感じました。ユーモア感覚も柔らかく鋭い。
彼女の文章を読むと、映画の中の不思議な揺れや間合いみたい時間に、いろんな文章表現があることがわかります。

これからの注目アーティストです。
[ 2009/08/02 07:49 ] [ 編集 ]

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