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地震の記憶

 僕は、阪神大震災の時...神戸にいた。その当時、交際していた女性の家(木造2階建て文化住宅の1階)で寝ていたら、イキナリ天井が落ちてきた。

 1階が完全に潰れて、その上に2階が乗る形だったが、その隙間(僅か、50cm程度)になんとか生存することができた。

 直ぐに近所の人達が来たが、先ずは年齢と怪我・出血の有無を尋ねられた。
 木材に足を挟まれてはいたが、出血も無かったし、その当時は30歳になったばかりだったので、その旨を伝えた。

 すると、同じ住宅に住んでいた高齢者を先に救助するとのことで、そのまま8時間我慢した。

 というよりも、存在を忘れられていたのだった......。

 薄れゆく意識の中、ガス臭(ガス管が破損していたので、洩れていた)が漂ってきた時は、酸欠で死ぬか、ガス爆発で死ぬんだなとあきらめていた。

 そこに現れたのが、泥棒(火事場ドロというか、地震ドロだ)だったが、僕は声を振り絞って「あんたが、泥棒でもなんでもええから、その辺の人間にまだ生存者がいることを伝えてくれ~!」と叫んだ。

 それから数十分後に、町内会有志の人達に助けられた。

 その時の言葉...「すまんかった。忘れとった」


 僕たちは、忘れられた存在だった。人間の命は軽い。自分の身内や知り合い以外の命は、特殊な状況下では、極めて軽いものなのだ。

しかし、それは、誰にも責めることはできない。戦争や天災に見舞われたときは、誰にでもそうなる可能性があるのだ。

 でも、許されない、恥ずべき行為をしていた人達の事も書いておく。

 腹が減ったが、避難所になっていた小学校の炊き出しも終了し、近くのスーパーでは、弁当類を無料で被災者に提供していたので、お金があっても買うことができなかった。

 しかし、その無料の弁当を何度も並んで手に入れた在日外国人(朝鮮人か中国人なのかは忘れたが、少し言葉がなまっていたのと、目が細かったのは覚えている)達が、僕に弁当を高額で売りつけてきたのには、激怒した。

 タダで、貰ってきた弁当を、空腹という人の弱みに漬け込んで、1個数千円という値段を吹っかけて来た、その根性が許されなかった。

 それにひきかえ、地元の人達には感謝している。1月初旬という寒い時期に、着るものがなくて困っている僕たちに衣類を提供してくれたのだ。
 自分達だって、寒いはずなのに。更に夜になったら、冷え込んでくるのに。


 その後、5時間以上をかけて被災地から、ほとんど無傷の大阪市内の自宅マンションへとたどり着いた時には、日付が替わり深夜になっていた。

 木材に挟まれた足に毒素が溜まり、その分解に腎臓と肝臓が追いつかず、いわゆる「ショック症候群」(エコノミー症候群の重症なものといったらわかりやすいかも)になった。
 未だに、軽度だが腎臓機能低下の後遺症が残っている。

 現在でも、少しの地震の揺れや、付近を大型トラックが通過するなどの音や振動でも、パニックを起こして呼吸困難に陥ってしまう。

 地震のトラウマが原因の「PTSD」(心的外傷後ストレス障害) と、今も闘っている。



投稿者: Anthony


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第二の宮城県沖地震

10年以内に確実にくるそうだ!!やれやれ!

てな訳で、いつ地震がきてもいいように、
愛車のガソリンは、常に満タン状態!
さらに、真冬を想定して、電気・ガス・水道が
止まっても、一週間くらいは、最低限の生活が
できるように準備はしているべ!
[ 2007/07/19 21:59 ] [ 編集 ]

本当の修羅場を経験した編集長の言葉には重みを感じます。
多分、震災を経験していない人には分からない感覚だと思います。
経験した者のみが共感できる恐怖…
[ 2007/07/19 22:45 ] [ 編集 ]

生存できたことに、感謝!
[ 2007/07/20 01:09 ] [ 編集 ]

拙ブログへトラックバックされたのはこちらの記事ですね。ありがとうございました。

Anthonyさんのご経験に比べたら、私などお恥ずかしい限りですが、震災の経験は、忘れたくても決して忘れてはいけないことだと肝に銘じています。

[ 2007/07/20 15:28 ] [ 編集 ]

阪神大震災の前日

阪神大震災の前日、TBS「3時にあいましょう」を見てたらゲストが池田貴族で心霊写真特集だった。港区白金の廃墟を霊視する映像とか、怖いのばかり流しまくりで背筋が凍る思いをした。まっ昼間であんなに怖い番組は初めてだった。ジョン・レノン暗殺事件の第1報を聞いたのもこの番組。
[ 2007/07/20 17:12 ] [ 編集 ]

阪神大震災の当日は

仕事柄、前日朝からの連続事案がやっと落ち着き、当日の午前4時に、やっと車内で仮眠を取った矢先の出来事、疲労困憊だった。激しい揺れに目が覚める。「誰やぁ!車を揺らす奴は!出て来いゴルルァァー!」。

いつもそうだが一旦点火すると疲れを忘れて回復する。しかしこの時は違った。目の前の電柱・信号機が大きく揺れる信じられない光景。辺りは、消防隊が走ってる。ラジオで地震だと分かった。無線では隣の大東市、寝屋川市始め、八尾市、東大阪市など大阪一帯が事案の嵐。そして、俺が居る門真市にも事案が爆発した。それよりも皆大丈夫なのか?家族は無事だ。今日も帰れそうにない。100件を超える事案処理、休みの者にも非常呼集がかかり総動員だった。幸い大きな人的被害には至らなかったが、建物は火災の一歩寸前のもの、マンション設備の排水管故障、駐車場トラブル、停電、NTT障害、金融機関のシステム確認。ガラス破損処理。気が付けば、また明日になっていた。

やっと帰宅し、家と家族は無事。友人に電話した。そして神戸から彼女を連れて1日かけて逃げ延びたと知った。
[ 2007/07/21 01:57 ] [ 編集 ]

僕はあの地震の時は13階のマンションに住んでいました。
当時、マンションが倒れると思った程にメチャメチャ揺れて部屋の中がグチャグチャになりました。
関西の人はあの地震はみんな記憶に残っていると思うけど、やはり地震がこの世で一番怖いよね
[ 2007/07/21 09:03 ] [ 編集 ]

おそろしかたい

私も阪神大震災3日前に大阪にいきました。会社を破壊しているときだったので風景を気にもとめなかったのですが、帰ってきてテレビでおどろいたクチです。今は結構情報がつたわりますが、その当時はJ-waveの一報でカビラ氏が「犠牲者は2人ということで」なんていってましたが何百倍も一辺にいなくなっていたのです。情報の備えもしておきたいものです。
[ 2007/07/21 11:28 ] [ 編集 ]

当時、タウ・ニュートリノは長野市内の実家に住んでいました。

阪神大震災があった早朝、長野では震度1を記録したそうですが、微かな揺れを感じ、目が覚めました。
その後、関西が地震で大変な状態になっているという事をTVニュースで知った。初めに見た映像は地震の際に発生した火災に見舞われている街の様子でした。

その街が神戸だと知った時はショックだった。市内には当時のペン・フレンドの一人がいて、「彼は無事でいるのか?」と気になっていました。
後日、彼と連絡が取れ、彼曰く「足に怪我をしたけど、大丈夫でした。」と。生存していた、傷が重いものではなかった事を知った時は胸をなでおろしました。

長野市は今回の地震で震度6強を記録した上水内郡飯綱町のお隣。実家の親、姉夫婦と子供達は無事でいるのか?
電話とすると、母曰く「こっちはよく揺れたけれども大丈夫。姉ちゃんの旦那さんの実家は戸隠の方なので、家が壊れるかと思った位揺れていたそうだよ」。
姉曰く「怪我はなかったけど、娘が怖がっていた」との事でした。
[ 2007/07/21 13:42 ] [ 編集 ]

多くのコメントを頂きありがとうございました。

いつの日か、トラウマを克服できたらいいなと思っていますが、天災は避けれません。でも、人災は無くすことができると思っています。
[ 2007/07/23 02:06 ] [ 編集 ]

凄まじい体験です。

2008年6月14日投稿の霧島さんの栗駒周辺の地震の記事のコメントに、Anthony 氏は、

>僕は地震で死にかけたことがあるので、・・・

と書かれていましたが、まさかこれほどの凄まじい体験をしていたとは、想像の域を遥かに超えていました。

 これほどの体験をされたら、
>「ショック症候群」

>地震のトラウマが原因の「PTSD」
になるのも頷けます。


 2つほど気になった事があります。もし、宜しければ、支障のない範囲で教えて下さい。

1.そのときその文化住宅の部屋主の女性はどうなったか気になります。

2.この地震で人生観も大きく変わったのではないでしょうか?
[ 2008/06/28 20:00 ] [ 編集 ]

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