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伊達六十二万石の宿 湯元 不忘閣  2 (宮城県 川崎町 青根温泉)

「文人達の宿」 一泊 ○万○千円と少々高かったですが、全てにおいて満足でした。


 充分高いだけのことはありました。


 夕食、朝食は、多くの文人達が泊まった旧館の個室でいただきました。なんか、明治時代にタイムスリップしたような感覚になります。

 料理も最高でした。とくに、仙台牛を使った松茸の牛鍋は絶品でした。うまかった!!

 
 もちろん、お風呂も最高。感動ものでした。





政宗の湯(大湯) 入口

政宗の湯(大湯) 入口


 この引き戸から専用の草履に履き替え、階段を少し下りて行くと温泉である。

 この温泉では、伊達家の家紋(三引両紋、竹に雀紋)が、お椀や柱などに使われています。

 聞いてみたところ、なんと、伊達家の家紋の使用が許されているのは、この温泉と松島の瑞巌寺だけとのこと。

 勝手に使用することができないのですね。 登録商標かなんかになっているのでしょうか?やれやれ、すごいことです。





大湯 内部

大湯 内部


 450年前の姿に復元された大湯。伊達政宗も入った温泉である。


 建物は何度か再建されいるが、450年以上使われている重厚な石組みで作られた湯船は、まったく当時と同じままである。

 大湯は、老朽化が激しくなり2006年で閉鎖されましたが、当主が 「青根温泉発祥のルーツを絶やすわけにはいかない」 と決意し、青森ヒバと土壁を使い、釘を一切使わない工法で復元したのです。

 当然のことですが、脱衣所もシャワーもありません。脱いだ浴衣を置いておくカゴが並んでいるだけです。

 でも、ご安心下さい。脱衣所、シャワー、石鹸、シャンプー完備の普通の温泉もあります。(笑)


 与謝野晶子も、この 「大湯」 に入ったのでしょう。

 ここ不忘閣で、こんな歌を詠んでいます。。。


「石風呂の 石も泉も 青き夜に 人とあゆみぬ 初秋の月」






蔵湯 に通じる石畳の通路

蔵湯 に通じる石畳の通路


 なんとも幻想的である。風情がある。


 引き戸をあけ廊下を進むと右手に土蔵の蔵が並んでいた。

 草履に履き替え、石畳の通路を進むと風呂の入り口がありました。


 入り口の前には 「日本秘湯を守る会」 の大きなちょうちんが、ぶら下がっておりました。





蔵湯 内部

蔵湯 内部


 なんと、蔵の中にヒノキの湯船が。。。


 江戸末期に建てられたという蔵を改装して作られた風呂である。

 天井が高い。ヒノキの香りが心地よい。殿様気分が味わえる風呂である。


 この蔵湯は貸切になっていて、ロビーに置いてある 「貸切」 の札を廊下に掲げておけば、30分限定で誰に気兼ねすることもなく、のんびりと入ることができる。

 まさに、殿様気分が味わえる風呂である。(笑)




 → 青根温泉 湯元 不忘閣 HP

 → 日本秘湯を守る会 HP








投稿者: 霧島


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鉄幹と晶子は旅好き、温泉好きで、

日本全国を旅してまわったべ。
日本中に晶子の歌碑はあるが、鉄幹の歌碑はほとんどないな。
凡人は天才にはかなわないということだな!(爆)

京都出身の鉄幹だけど、関西でもまったく人気がなんでねのがや?!(爆)
大阪 堺出身の晶子のほうがすごい人気だべ。まあ、全国的にもそうだがな!

天才啄木の場合は、地元岩手では、大昔からまったく人気むがなかったべ。
いっつも、いっつも賢治と比較されて、岩手では「故郷の人たちに
迷惑をかけ、故郷を捨てた極悪人」扱いだったな。

岩手でも、人気が出てきたのは、30年くらい前からだべ。
全国的に「啄木ブーム」が起こり、岩手の人たちも「こりゃー、いかん!」と
思って、啄木ウェルカム運動を始めたんだな。
そんで、盛岡の渋民に「啄木記念館」ができて、盛岡周辺のいろんな場所に
歌碑が作られたべ。出身校である盛岡中学(現盛岡一高)では、卒業生扱いにしたんだな。
実際には中退して、東京の鉄幹・晶子のもとにいったんだが・・・

オレ的には、
啄木がそばにいると、本能的に気をつけなくてはいけないぞ、と思い
賢治がそばにいると、何となくホンワカとした気持ちになるべ。

まあ、イメージだが。(爆)

ちなみに「啄木」と命名したのは、鉄幹なんだな。いわば名づけの親だな!(爆)
[ 2011/09/23 08:18 ] [ 編集 ]

古賀政男 大先生の普及の名曲『影を慕いて』も、ここで生まれたんだべ。
[ 2011/09/23 09:36 ] [ 編集 ]

まいどです。

すごい、よく知ってますね!! オレはほとんど知らなかったべ!(爆)
古賀政男先生って九州の出身だったのね!

朝の、青根御殿見学ツアーの時、ガイドさんは古賀政雄の話もしてたな。それによると、

人妻に恋をして失恋した古賀政雄は、宮城のこの温泉に来て山の中で自殺を図った!
しかし、この温泉の主人に助けられて、なんとか一命はとりとめたそうだ。
それが縁で、しばらくこの温泉に滞在することになり、名曲『影を慕いて』が生まれとのこと。
旧館も案内され「ここが、古賀政雄先生が滞在した部屋です」との説明があったべ。
旧館のなかでもけっこう立派な部屋だったな。(爆)

青根温泉にある古賀政雄記念館(青根洋館)や古賀政雄公園も一応見てきけどね。。。
http://senndai-tabi.seesaa.net/article/44141267.html

「影を慕いて」
http://www.youtube.com/watch?v=8uuyBKVwsyw&feature=related
[ 2011/09/23 20:29 ] [ 編集 ]

偉大な古賀先生は福岡出身だ。
日頃パンクばっかり聴いているが、ちゃんと古賀メロディも聴いている。
ヘビメタとド演歌以外なら何でもこいだ。
[ 2011/09/25 03:41 ] [ 編集 ]

ホントだ!

 確かに霧島さんの言う通り、リニューアルして素敵な感じになったっちゃや!
古い大湯も情緒があったけど、石っぽかった。
それが木のイメージになって更に風情が増したっちゃや!
一般にリニューアルすると、昔の鄙びた情緒が無くなるけど、こりゃあ上手く改築したっちゃや!
蔵湯は確か昔は家族風呂だったっちゃや。
蔵湯 に通じる石畳の通路も情緒があるっちゃね。
この通路は昔の廃れた感じも好きだな。
大幅にリニューアルして素敵になったけど、お値段もそれなりに高くなったようだっちゃね!?
・・・デモ言ってみたい。

[ 2011/09/25 20:53 ] [ 編集 ]

まいどです。

蔵湯は最高だったべ! ほんとに、伊達の殿様になった気分だったな!(爆)

戦国武将は温泉好きが多いんだが、伊達政宗はその中でも断トツの温泉好きだべな!(爆)

京都にも「伊達屋敷」があって、なんと政宗は延べ10年も京都で暮らしたんだな。
「伏見区深草東伊達町」「伏見区桃山町正宗(政宗)」「伏見区伊達海道」などの
地名も残ってる。
http://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000015036.html

そんでもって、その時に、通った温泉が「木津温泉」だったらしいな。
[ 2011/09/26 21:09 ] [ 編集 ]

当時の京都市民にとって伊達の武将は憧れの的だったらしい!(爆)

秀吉の命で朝鮮に向かう(朝鮮出兵)とき、徳川、前田、伊達の武将が
京都の町を行進したそうだ。
その時、とんでもなく華やかで、目立ったのが伊達武将のいでたちだったのだ。

「褐色に金の日の丸を描いたのぼり30本、鉄砲100挺、弓50張、
1メートルの黄金の槍100本、ほとんどが朱の鞘、銀の鞘の刀を差し、
馬上30騎は漆黒の鎧で身を包み、孔雀の羽で飾った黒幌かけていたという」
伊達政宗も黒漆五枚胴具足(ろうるしごまいどうぐそく)を着ていたのだ。

これらが、京都市民の度肝を抜いた。「さすがは伊達よ、素晴らしい」と
つぶやきあったという。

ダースベーダーのモデルになったという、政宗の有名な「黒漆五枚胴具足」は
仙台市博物館で見れるのだ!!(爆) ↓

http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/03_buki/index.html
[ 2011/09/26 21:47 ] [ 編集 ]

佐賀県 武雄温泉

誇大妄想に取りつかれた秀吉による朝鮮出兵・・・・

伊達政宗も後方支援ではあったが出兵したのだ・・・

温泉好きの政宗が朝鮮に行く前に滞在して、
充電していたのがこの温泉である。  ↓

http://onpara.jp/share/area/takeo.html
[ 2011/09/26 22:06 ] [ 編集 ]

ところで・・・

 リニューアルした大湯は、いまだに反対側の入り口から外来入浴者が入って来るんかや?
[ 2011/09/27 21:10 ] [ 編集 ]

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