特大家族 第三章 マケナイデ、ゼッタイカッテ  その15 (小説)

童人形が、うつ伏せの三白眼ジョーズを慎重に狙う。

 
 三白眼ジョーズは避けない。ギリギリまで接近された時、初めてノソリと動いた。方向は右でも左でも上でもなく、下である。


 三白眼ジョーズは自らの頭を覇斗の人指し指の下へ潜り込ませていた。

「え!」

 楓の全身に鳥肌が立った。












投稿者:クロノイチ


 先刻キースに食らったばかりの必殺技の悪夢が脳裏をよぎる。一瞬の戦慄に童人形がすくんだ。その隙を衝いて三白眼ジョーズが仕掛ける。が、それは、サムズアップ・ボンバーではなかった。頭を大きく回して素早く横から押さえ込みにきただけだ。当然、ライトニング・カウンターと呼べるような大技でもない。

 童人形の上に三白眼ジョーズがちょこんと乗る。押さえる力はゼロだった。

(クール・サムライディング! さっきまでの挑発は全部ハッタリ?)

 訝しんでいる暇はない。なすべきことは一つ。親指をエスケープゾーンへ直行させることである。それに失敗すれば間違いなく致命傷。とはいえ、今の楓がそんなつまらないミスをするはずがない。

 だがその時。

 楓は信じられない声を聞いた。やけに甲高い、脳に突き刺さるような鋭い声を。

「── ジュウ!」

 強烈にして明瞭、それでいて異質な声。目の前の覇斗が発したとは、にわかには信じ難かった。さらに信じ難いのは、その発せられた内容である。

 静寂に包まれていた会場内に、ピーッとホイッスルが鳴り響いた。

 白旗が審判の頭上に上がる。

 一本勝ちだ。

 勝者は高柳覇斗。

 歓声も拍手もなかった。勝負が決したというのに、辺りに広がるのは、状況を呑み込めない観客達のざわめきと当惑の雰囲気だけである。

(嘘……? あたしが負けた……? どうして……?)

 納得が行かない。

 楓は立ち尽くしながら直前の過去を反芻した。

 「キュウ」、という声が間違いなく記憶に刻まれている。ハチもナナもロクも。一から十まで、全ての数がはっきりと耳に残っている。

 テープの早回しみたいな声に若干のリバーブを掛け、それをアンプで何倍にも増幅したような印象。普段の覇斗の声とは似ても似つかない、不思議かつ奇怪な声だった。それが、通常の数カウント分の時間内に、異様な聞き取りやすさで、テンカウントを終えてしまっている。楓のテン・タップレットなど比べ物にならないハイスピードだ。

(何よ、これ……?)

 楓の頭の中をクエスチョンマークが飛び交った。それでも、覇斗の声であるということに疑問の余地はない。状況から考えてそう結論するしかないのである。

 超高音・超高速・超明瞭── 単なる早口とは全く次元を異にする超絶技巧のテンカウント。

 その声の正体はまさしく覇斗のみぞ知る。

 基本は、唇を半分開け歯を閉じた状態のまま固定し、裏声と舌先の微細な振動だけで発声することだ。つまり、一種の腹話術である。唇を開け閉めするのに要する時間を完全にカットしてしまい、その上でできるだけ素早く数を数えるわけだ。一から十までの間に、腹話術が苦手とする 「ま行」 や 「ば行」 の破裂音が一つも混じっていないのは幸いだった。

 この発声の弱点は、一般的に声がか細く聞き取りにくくなるというものである。審判にカウントを認定してもらえないのであれば、幾ら早く数えられたとしても意味はない。しかし、それを克服するための技術が覇斗にはあった。大量の呼気を圧縮して一気に声帯へ送り込む「ツインスクロール砲」と、口腔内において声の成分のみを共鳴・増幅させる 「シンフォニック・ホーミー」 の二大奥義である。これによって覇斗は、明瞭かつ恐るべきスピードで数を数えることができたのだ。

 なお、この技は、覇斗自らが苦心の末に編み出して身に刻み込んだものであり、また、相手の出方にタイミングを合わせる必要がないため、事前練習なしに即、使用することが可能である。

(やられたわ……。まさか……こんな……)

 楓は未だに戸惑いの中にいる。負けたという実感が全くなく、なかなか感情が膨らんでこなかった。覇斗にも全然喜ぶ様子がないので、悔しさも落胆の思いも一向に湧かない。

 だが、やがて、覇斗に告白するタイミングを失ってしまったことに思い至った途端、楓は激しくショックを受けた。

(どうしよう。これからの予定、全部狂っちゃった)

 思わず涙が溢れそうになり、ギリギリのところで食い止める。

「覇斗君!」

 楓は覇斗をキッと睨んだ。覇斗が小さく溜息を吐きながら、気の毒そうな視線を楓に向けてくる。少しカチンと来た。

「── 早口、『諦めた』 って言ってなかった? あたしの技を『自分には真似できない』って言ってなかった?」

 詰問調に言いながら、ああ、愚痴だな、と楓は自分を情けなく思う。覇斗の言葉の全てが嘘だったとして、それを責める権利は楓にはない。なりふり構わずどんな手段も使っていいと言ったのは楓自身だ。それに事前に忠告も受けていた。本気で勝ちたければ言われた通り、何もしなければよかったのである。

「誰にも気付かれずに早く数える技術は、僕にはないよ。君の技は本当に凄いと思う。僕はあんなふうにしかできないんだ。あれは圧倒的に速いけど、あまりにあからさまで目立ち過ぎる。僕のコピーは無理としても、僕に触発されてみんなが早口の技術を身に付けるようになったら、それはもはや指相撲の形を借りた、ただの早口合戦だ。本末転倒もいいところだよ。南波式のルールの面白さも何もあったもんじゃない。── それにあれ、メチャクチャ恥ずかしいしね」

 神妙な面持ちで話していた覇斗が、微かに照れ笑いをした。

「── だから僕は実戦に使うことを諦めたんだ。ちゃんと諦めてたんだよ。なのに、使わずにはいられない気分にさせられたのは、君と…… いや、君の強い後押しのせいだよ。君が是非にと言ったから使ったんだ」
「そう……」

 楓はすっかり意気消沈して、萎れたようになっていた。

「なんにしたってあたしの負けね。あんたに練習で何回も勝って、少し思い上がっていたのかな。あんたの底力を甘く見てたわ。また一年、あんたに敗者として……え、ちょっと待ってよ。あたし、あんたに勝てなかったのよね?」

「ん? ── そうだけど……」

 何を当たり前のことを、と覇斗が不思議そうな顔をする。楓のどんよりと曇った心に一条の光明が射した。

「だったら、あたしとの約束覚えてる? あんたに技を教わる前の約束」

 楓が意気込んで訊ねる。

「ああ、覚えてるよ。大会で僕を越えるその日まで練習を付き合うって。── あっ」

「じゃあ、付き合ってくれる? あと一年」

 すかさず楓が畳みかける。要するに来年の大会まで、今まで通り練習に付き合ってほしいと言っているのだ。それが楓の現状唯一の希望であり、よすがだった。

「構わないよ。約束だからね」

 覇斗は即答した。いささかの逡巡もない。やったやった、と楓が内心でガッツポーズをする。

「── でも、いいのかい? アレに一旦区切りをつけて、勉強かピアノか、何か他のことに打ち込むつもりだったんじゃないのか?」
「全部御破算。これからのことは、後でゆっくり気持ちを整理してみないと決めらんない。だけど、やり残したことはやらなきゃ。── 大丈夫。あんたにあの景色を見せてもらってから、少しは物事を切り分けて考えられるようになってきてる。これからの一年、あたしにとって人生を左右するほどの大事な時期になると思うの。だからきっと、朝から晩までアレばっかってことにはならないわ」

「なんか、心配要らなさそうだな。なら、また二人で切磋琢磨するか」

「うん。── よろしくお願いします。師匠」

 楓が覇斗にペコリとお辞儀をした。

「いや、こちらこそよろしく。本音を言うと、この二ヶ月とっても楽しかったんだよ。今日で終わりと思うと少し寂しかった」

 そう言って覇斗が右手を差し出すや、楓はその腕を両手で掴んで大きく振った。

「実は、あたしもなの、覇斗!」

 心の底からのまばゆい笑顏で、楓が同意する。彼女にしてもこの二ヶ月は本当に楽しい日々の連続だった。いささか負け惜しみ気味ではあるが、あんな日々が続くのならば、覇斗と恋人同士になる日が少しぐらい延びてもOKかなと、自然に思えてくるくらいである。確かに負けたことが痛恨の極みだったことは否めない。思い描いていた未来が消し飛んでしまった。けれども、地獄に突き落とされたようだった去年と違い、今は随分と心に余裕がある。

(悔しくないわけじゃないんだけどね。アレに関してはなんかやり尽くした感があるな。あと一年、練習を続けるっていったって、結局は覇斗君と一緒にいたいだけだし、無理に子供のままでいる必要はないかも。まあ、これからのことは追々考えていこう。覇斗君への告白だって、特別なタイミングにこだわりさえしなきゃ、今後チャンスは幾らでもあるはずだわ。前みたいに偶然のいたずらが続かない限りはね……)

 楓の屈託のない笑顏がいつまでも消えない。つられて覇斗までも破顔する。

 その時、観客席からようやく歓声と拍手が沸き起こった。

 実は観客達にも覇斗のテンカウントはくっきりと聴こえていたものの、皆、その結果をどう受け止めたらいいか迷っていたのである。反則で株を下げた覇斗が再度セコい手を使って勝利を掠め取ったとみるか、絶体絶命のピンチから起死回生の大技で大逆転勝利を収めたとみるかで、評価は天と地ほど違う。そのため観客達は、楓の態度に合わせて動くつもりで様子見をしていたのだった。もし、楓が覇斗に抗議していたとしたら、会場内は大ブーイングに包まれていたことだろう。

 場内アナウンスが覇斗の優勝を告げる。覇斗はチラリと観客席の茉莉花を見た。一瞬、胸が高鳴り、思わず誇らしげに胸を張ってしまう。しかし茉莉花の反応は乏しかった。表情は相変わらず硬い。願いには完璧に応えたはずなのに、嬉しそうな様子一つ見せていないのである。

(家族の手前、茫然自失のふりをしているのかな)

 覇斗はひとまずそう思うことにしたが、あまり納得は行っていない。

(もしかしたら、あんな勝ち方をしてしまったのが気に入らなかったとか……)

 まさかな、と思いつつ、覇斗は何度も首をひねった。


 さて、ここは観客席の一角。宮城家の人々は依然として様子見を続けている。ここにいる人間は、茉莉花が人知れず謎の心変わりをみせた以外は、全て熱烈に楓を応援していた。楓が負けた瞬間は、誰もが驚愕に表情を凍りつかせ、次いでこの世の終わりが来たかの如く一斉に嘆き悲しんだものだ。

 宮城家の人々は、楓が公衆の面前ならばある程度自制できるのを知っていた。だから、目の前で楓が笑っていたとしても気を緩めたりはしない。家に帰ってからが問題なのだ。帰宅した途端に大爆発し、家族のほとんどが徹夜で指相撲に付き合わされる、なんてことが充分に起こりえるのである。

 とはいえ、楓の笑顏が無理して作ったもののようにも見えないため、家族の一部は腑に落ちないものを感じていた。嘘が苦手な楓は、作り笑いも下手くそである。家族全員の目を欺くことなど到底不可能なはずなのだ。

 会場のモニターからは音声が流れないので、覇斗と楓の会話の内容は全く伝わってこない。

「よお、姉ちゃんの様子をどう見る?」

 松之進が楓の妹のみゆきに声を掛ける。みゆきは眉を顰めながら答えた。

「負けたのにメチャクチャ嬉しそうに見えるわ。これ、姉ちゃんの場合、大抵、危険信号だから。つまりテンションがMAXで感情が不安定ってこと」

「ヤバいのか?」

「ほら、サスペンスドラマかなんかで、追い詰められた犯人が突然高笑いをするじゃん。おかしくもなんともないのに。で、その後、なんかやらかすでしょ。崖から飛び下りたり、隠し持ってた武器で反撃したり。あんな感じよ。多分ね」

「マジかよ」

 みゆきは 「多分」 と断定を避けたが、実の妹の言葉だけに、信憑性が高いと思われたのだろう。内容を伝え聞いた家族が文字通り震え上がる。皆、せめて今日だけは楓に会わずに済ませたいと心から願った。

 結局、楓の大爆発が杞憂であると判明するまで、家族一同、大いに気を揉むことになったのである。


第三章 了



 ちょっともやもや感が残る終わり方でしたね。

 続く終章は短いです。是非最後までお読みください。

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[ 2016/09/03 23:00 ] Menu:16 Anthony's CAFE 文化部 | TB(0) | CM(0)

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